諦め

どうせ俺は農家になる

幼い頃から当たり前のように目にしていた農業は自分の可能性を奪うものだった。それは栽培方法うんぬんではなく、農家の長男は家を継ぐという慣習。それがあるために何をするにもどこか本気になれない自分がいつもいた。「どうせ農家だしな~」勉強も出来たほうだしスポーツも好きだった。だけど、ここまででいいやと向上心もなく。高校もまず落ちないだろうという志望校を選択。田舎の空気感が嫌だったので電車で通える範囲のなるべく遠い学校。高校卒業後は時間稼ぎのつもりで専門学校に進学。まわりに合わせ就職活動をする中で、結局農業なのかな?とりあえずやってみる?という気持ちになり、不動産会社の内定を蹴って親に相談。「俺は農家になる!!!」

原点

モヤモヤがアイツと出会わせてくれた

農家になる前に親の薦めでうちと取引を始めたばかりの自然栽培野菜の流通業者に一年間研修に入ることになる。そこで学んだことは、日本の食の危機とそれを何とかするために頑張っている人たちがいる。そして今まで当たり前に見てきた父と我が家の畑はどうやら価値があるらしいということ。あっという間の一年が終わり、実際に畑に出ることになる。「よし、これからは任せとけ!!!」だがすぐにモヤモヤ感が生まれる。 そりゃ半人前にもなってない農家もどきに何が出来るんだという話だが、この時は自分が中心にいないことにイラつきだったり、虚無感を覚えた記憶がある。「上京してバンドやる!!!」親ががっかりしてる。田舎中がざわつく。必死に止める友人たち。 中学生時代からの友人(大手自動車メーカー勤務)と、希望に満ちた気持ちで上京することになる。急に何故音楽?と思うかもしれないが、専門学生時代にバンドを少しかじった。何より文章を書くことが好きで作詞を中学生の頃からよくしていた。歌もうまいわけではないし、音楽が好きというよりは自分の想いを伝えるツールとして音楽が最適だった。バンド活動が始まると紆余曲折、ここには書ききれない程の経験をたくさんした。良いことも悪いことも。ちょうど震災前後が色々あった時期で、友人が脱退して活動どうするかなって時に東日本大震災があって、メンバーが変わって、一度また農業に戻って辞めて。そこからCDの全国リリースが決まりツアーに回ったりメディアに取り上げてもらったり。そして、 音楽に区切りをつけ今こうしています。

職業選択

わたしは跡継ぎではありません

【農家×音人】なんて大袈裟な書き方をしているが、今は音楽には携わっていないし、今後やるかもわからない。ただあの時間をなかったことには出来ないし、したくもない。ステージの上に立っていたアイツは別人であるけど、今の自分を形成するうえでなくてはならない存在だ。アイツのおかげでなりたくなかった農家という職業を自分で選択することが出来た。だからよく人に言うけど、わたしは跡継ぎではありません。正直、究-kiwame-として戻ってきたばかりの時はまだ音楽に対して未練にも似たようなものがあって、田舎の空気感にもなかなか馴染めなかったんだけど。今はやっと自分の世界が出来上がったという感覚があり、そうなると周囲に対しての見え方も変わってきて、ヒントをくれることがたくさんあるなと気付いた。田舎でも話してみると通じ合える人がたくさんいて自分が勝手に壁を作っていただけだったなと思った。

呼吸

期待はずれの人

自然栽培については、自分の中で特別なものではなくこの栽培は良いんだぞみたいなのを世に発信したいわけではない。呼吸をするのと同じ感覚なので「皆さん、呼吸してくださーい」なんてのもおかしな話。 こう感じてしまうのは二世の良いところでもあり悪いところでもあり。 だから、ほかの自然栽培農家さんとの温度差。おそらく父みたいな役割(自然栽培の普及活動や研修生育成)を自分に期待していた人もいると思うがそれは自分の役割ではないと思っている。ごめんなさいね。それにこの自然栽培界隈に思うところもある。仮にその役割を担うならもっと早い時期であるべきだった。世代交代なんて早いに越したことはない。だがその時期を自分は音楽の時間にあてた。そこに対して否定も後悔もない。だから、違う役割を見つけていこうと思ってるわけです。

アーティスト

どうせ俺は農家だから

音楽でジャンルに括られることが嫌で、当時からそのジャンルの音楽をやりたいわけではなく、自分の想いを伝えるうえで最適なジャンルを曲ごとに選びますよと。それがオリジナルだと信念をもっていた。バンドではピンヴォーカル(楽器は持たずマイクのみ)で、わりと動き回るタイプだった。はじめの頃は立ち振舞いがわからず、まわりと比較して落ち込んだりもしたのだが、ある日のライブで一歩前に出てみた。これは心理的な話ではなく物理的に一歩前に出たという意味。すると同じステージなのだが見える景色が変わり、お客さんとの距離が縮まった。これは物理的な話ではなく心理的に距離が縮まったという意味。これらのことって農業、いや、大きく言えば人生にも通ずるものだなと思って自分の教訓にしている。農家ってアーティストだな。ひとつの作品をつくりあげるんだもの。 今、栽培を工夫してみたり新しい品目に挑戦したりしている。跡継ぎではなく自分で職業を選んだからこそやることがたくさんある。形は違えど今度は農業で自分の想いを表現して伝えていく。一歩前へ、一歩前へ。昔の自分に言ってやりたい。「だって、どうせ俺は農家だから。」
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